2014年4月22日星期二

走ってくる後輩


仕事を一生懸命頑張っている後輩がいた
汗をかき…しんどくても顔に出さず頑張る後輩…体重120キロ
(本当だよ)

昨日仕事で俺も疲れてる時…
その後輩がハァハァ息をきらせながら汗びっしょりになりながらフガフガ言いながら俺のもとへ走ってきた…

こいつ頑張ってんなぁ…
お前は偉いよ…と思いながら…
『どうした?』
ってニコっと笑って言ったら…

『先輩ももクロのコンサートに行きたいでしょぉ~?わかってるんですよぉ~

って言ってきた…

なんだろね…



余計に疲れた…(-_-;)




イラッとしたからお腹に張り手したんだけどね…

俺の手が痛かった…
お腹のお肉厚いんだもん



後輩よ…1人で行ってくれ…

俺は全くファンではないッ!! タオバオ代行

2014年4月16日星期三

シャープの反省

経営危機から1年あまりを経過した今、シャープ経営陣は危機に至るまでの無策について、猛烈に反省している。その意識革命を活写した週刊東洋経済4月19 日号<14日発売>特集「シャープの反省」と合わせて読んでいただきたいのが、この記事。デバイス製造の拠点である亀山工場ではなぜ急速に意識改革が進ん だのだろうか。■ 業績改善は事業改革の成果

 「経営危機の反省をひと言で言えば、“大きなところ”しか見ていなかったということだ」――シャープのデバイス(液晶を含む電子部品)部門を率いる方志教和(ほうし・のりかず)専務はそう振り返った。

 2011~12年度に巨額の最終赤字に沈み、経営危機に直面したシャープ。13年度業績は3期ぶり最終黒字化の見込みと、ようやく底を打ったが、前期の 3000人規模の大リストラに加え、為替や太陽電池の政策効果など、環境面での押し上げ効果も大きく、「どこまで本物の回復か」という声も聞こえていた。

 しかし13年度、シャープは経営危機の反省を踏まえ、事業面での改革に躍起になっていた。業績改善は、危機を繰り返さないようにと実施した事業改革の成果といえる。

 象徴的なのが“液晶頼み”からの脱皮だ。「シャープの強みは、液晶だけでなく、センサー部品の品ぞろえにある。医療、セキュリティなどいろんな分野のイ ンターフェイスの部分には、必ずセンサーが使われる。液晶ディスプレーが情報の出口だとしたら、センサーは情報の入り口。うちはその両方を網羅する形で 持っている、唯一の会社だ」(方志氏)。

 シャープは、スマートフォンのカメラモジュール向け高精細CMOSセンサーで世界トップシェア。目指したのは、これら強みのあるセンサーに加え、さまざまな電子部品と液晶とを併せて売る「クロスセル」の推進だった。

 「中国での(電子部品の)伸びは、クロスセルの影響がかなりある。特にスマートフォンは展開が早く、液晶パネルの伸びとともに、電子部品が伸びた。今後この動きは車載やパソコン向けなどに広がっていくはずだ」これまでシャープの本業ともいえるのが、液晶だった。今も液晶事業が売上高の約4割を占めており、屋台骨を支える事業だ。経営危機前までは、この液晶の 「単品売り」がデバイス部門の営業スタイルの主流だったが、売り上げの変動が大きく、経営危機の一因となった。そこで、今は顧客ニーズに合わせ、液晶と最 適な電子部品を組み合わせる販売スタイルを推進している。タオバオ

2014年4月7日星期一

NYのファンやメディアの反応は

「Go、Tanaka!」

 どこからか威勢のいい掛け声が上がった。

 ヤンキースに鳴り物入りで入団した田中将大投手がトロントの敵地でデビューのマウンドに上がったとき、ニューヨークのスポーツバーにはヤンキースファンが集結していた。

 場所はマンハッタンのミッドタウンにある人気のスポーツバー。長いカウンターには約30席、テーブル席は1階と2階に分かれ20席以上が並ぶ巨大店舗 に、大型スクリーンの薄型テレビが8台設置されたその店は、試合開始前から大勢の客で混雑していた。あまりの混雑で席に座れず立ち飲みしている客も多かっ たほどである。taobao代行

 その中にはもちろん、ヤンキースの帽子やジャンパーを身につけているファンが目立っていた。熱狂的なヤンキースファンは、常にチームの帽子やウエアを身 につけているのですぐにわかる。30代くらいのある白人男性は、あの松井秀喜氏が活躍した09年ワールドシリーズ制覇の記念スタジャンを着こみ、アジア人 のガールフレンドと一緒に来ていた。

 田中は今や、ニューヨークでは最も有名であり、最もよく話題に上がるヤンキースの選手となった。7年1億5500万ドルという新人としては破格の超大型 契約で入団し、前評判は上がりっぱなし。マンハッタンのタイムズスクエアにある球団グッズショップでは、ショップの入り口付近の一番目立つ場所に田中のレ プリカユニフォームとTシャツがディスプレイされ、球団のイチオシ選手となっている。

 その田中が、開幕から一体どんな投球を見せてくれるのか。ニューヨークのファンは、デビュー戦を心待ちにし、その日スポーツバーに繰り出していた。

「Go、Tanaka!」の掛け声が飛んだのは、田中がメジャーでの第1球を投げたときだった。

 最初の打者は、かつてヤンキースにも所属し2012年8月にドーピングが発覚して50試合の出場停止処分を受けたメルキー・カブレラ外野手だった。メ ジャーデビューの第1球目は93マイル(約150キロ)のストレートでストライクを取った。2球目のボールの後、3球目は変化球。カブレラはそれを捉え、 いきなり右中間フェンスの向こう側まで飛ばしてしまったのだ。

「ワオ。カモーン」

 立ち飲みしながら観戦していた男性が、巨大スクリーンの画面を両手で指差しながら叫んだ。田中の投球を固唾をのんで見守っていたファンは、いきなり出鼻をくじかれた。

 だが、その表情には決して困惑や失望の色はなく、笑みさえ浮かんでいた。「まあ最初だからね。そんなこともあるさ」とでも言いたげな寛大さを漂わせてい た。ヤンキースは田中が初マウンドを踏む前の1回表にすでに2点を先制していたため、先頭弾を浴びてもまだリードしていたのだから、見ているファンにも余 裕があった。

 田中の方も3回以降は立て直し、ファンにとって安心して見ていられる展開となると、店内はざわつき始めていた。ビールを飲みながら仲間と談笑しつつ試合 を観戦していたヤンキースファンはすっかりリラックスし、試合もそっちのけで仲間とのおしゃべりに夢中になっていたからだ。店内にはカップルの姿も多く、 酒のグラスを片手に試合観戦もそっちのけでイチャついている男女の姿も……。

 実はこの日、ヤンキースと同じくニューヨークを拠点にするNBAのニックスがプレーオフをかけた大事な一戦を戦っていたため、店内のテレビの半分はニッ クスの試合を映していた。ニックスがリードするたびに歓声や拍手も起こり、混雑した店内ははっきりいってカオスな状態。ヤンキースファンはまだシーズンが 始まったばかりで余裕があるのか、実のところそこまで入れこんで試合を食い入るように観ている人は少なかったのだ。

 それでも田中が好投し、最終的に7回を6安打無四球3失点(自責2)、8奪三振でデビュー戦を見事勝利で飾ると、その場にいたファンも拍手喝さいで沸いた。

「タナーカ」

 誰かがそう叫ぶと、別のファンは、

「今季はプレーオフに進出するぞ」

 と雄叫びを上げていた。

 田中のデビュー登板について、辛口といわれるニューヨークメディアも総じて好意的に伝えた。

 CBSスポーツ電子版は「タナカのデビューは大成功。彼に多くの投資をしたヤンキースは、申し分のない見返りを得た」と書き、ESPNニューヨーク電子 版は田中を「リアル・ディール(本物)」と呼んだ。かつて「リアル・ディール」というあだ名を持っていたのは最強の名を欲しいままにした元ヘビー級王者の プロボクサーのイベンダー・ホリフィールドだが、同サイトの記事は「ヤンキースは自分達のホリフィールドを見つけたのかもしれない」と最高の賛辞を贈って いる。ヤンキースの試合中継を放送しているラジオ局WFANのスポーツトーク番組パーソナリティーは、先頭弾を浴びるなど乱調だった立ち上がりから見事に 立て直したことに注目し「最初はケイ・イガワかと思ったが、期待に応える投球だった」とユーモア交じりに話していた。

 ヤンキースファンの声も、多くは好意的。

「非常に期待の持てるデビュー戦だった」

「彼の速球は最速で94マイル(151キロ)出たし、スローカーブも素晴らしいし、スプリッターは手が着けられない。そして何より大事なのは、彼のコントロールは最高だってことさ」

「悪い立ち上がりからあれだけ立ち直ったのが凄い」

「タナカはまったく心配ない」

 ニューヨーカーは、この日のデビュー戦を見てすっかり安心したようだった。もちろん「相手チームのエースと投げあっていたとしたら、どうだったか」と厳 しい目を向けるファンもいるが、いずれにせよ今年のニューヨークで最も注目され、最もファンの間で語られるのが田中であることは間違いない。この日の試合 中、田中がカブレラに先頭打者本塁打を浴びた直後、カブレラの米ウィキペディアページには「2014年4月4日、カブレラはメジャーで最初にマサヒロ・タ ナカと対戦した打者となり、先頭弾を放った」という項目が速攻で付け加えられていた。それだけ注目度の高いデビュー戦だったのだ。